広島への原爆投下から今日で60年の節目を迎える。
少なからず原爆に対して関心があったので、TBS系列で放送されていた「~戦後60年特別企画~"ヒロシマ"」と題されたドキュメンタリー番組を観ることにした。(5日放送) 広島に原爆が投下されたのはAM8:15頃。子供達は学校へ行き朝礼をしている最中の出来事だったらしい。空から降ってくる、たった3メートルほどの長さの原爆「リトルボーイ」。それがほんの数秒で広島の町を焼け野原へと変えてしまう。爆発に伴う爆風、閃光がみるみるうちに広がり全てを破壊する。 学校でかくれんぼをしていた友達の「痛い!助けて!」という声、そして瓦礫の下に埋もれた我が子の声がこだまする中、なにもできずにいたことに対して今まで自分を責め続けてきた人達。 水を求めて、這いながら川に向かい死んでゆく人達。火傷により爛れた皮膚や、被爆者の死に様が脳裏に焼きついて忘れ去ることができない人達。放射線を浴び後遺症に悩まされる人達。 俺の想像を遥かに超えていた。生き地獄とはまさにこの事ではないのか。 俺が、もし当時広島に居たとしたらどうしただろうか。 一面焼け野原、死にゆく人の声、両親や友達を助けられずに生きている自分。 そこに希望があるのか。死ぬより辛い事なのではないのか。 今になっても、被爆者の方々は当時の事を鮮明に覚えている。逆に言えば忘れ去ることができずにいる。当たり前だ。それほど残酷で悲惨なものであったということである。しかし、原爆の悲惨さを体験した人達には後世に語り継がなくてはいけない義務がある。思い出したくないもない悲惨な出来事を語りながら目に涙を浮かべる老人。非常に感慨深いものがあった。 人の命を無差別に奪い取る兵器がこの世に存在していいのか 誰に人の人生を無茶苦茶にしていい権利などあるのか 今を生きている俺たちがどれだけ幸せなのか、再確認し感謝しなければいけないと思った。歴史は繰り返されるというが、どれだけの残酷さ、悲惨さなのかを肝に銘じ世界に日本が発信しなくてはいけないと思う。 番組の終盤辺りには、 60年前に原爆の開発、投下に携わり原爆によるキノコ雲を撮影していたアメリカの博士(名前は覚えていない)が広島に訪れ、原爆資料館を訪問した。彼は終始、自分が成し遂げた業を語っているばかりで広島の被爆者が写っている写真や焼け野原になった広島の写真、焼け焦げた三輪車、蝋人形の皮膚が焼き爛れている女性を見ても、反応は薄く「ひどいことだ。」の一言で、謝罪の念は全くない。対話に移ると、原爆を経験した老人の「原爆に対しての謝罪の念はあるのか。」という問いに対し、「私は謝らない。何故なら私もパールハーバーでたくさんの友人を無くした。貴方が謝るべきだ。」との答え。確かに日本もたくさんの過ちを犯した。今現在、中国との問題もそうであり、避けられない事実である。 武力を武力で弾圧しても憎悪や悲しみしか残るものはない。 なんの罪のない人々の尊い命が次々と消えてゆく。 こんな不条理なことがどうして続くのか疑問である。戦争の発端は国と国との問題、意見の相違など複雑な背景があるのは分かっている。でも、そんなことに関係なく人の尊い命を奪うことはどんなことをしてでも許されない行為であると思う。 今現在の核保有国は8ヶ国(曖昧)、保有数は数万個あるらしい。それに、テロリストへの核兵器拡散が懸念されている。世界に平和が訪れる日はいつ来るのだろうか。 「戦争はいけないことだよ!」となんの知識もなく言って、平和ボケしてる人はこれを機に、原爆の恐ろしさや戦争について考えてみることが大事だと思う。
by K-Ryusei
| 2005-08-06 00:46
| 雑記
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